書評というか備忘録

「富の福音」から学ぶ富豪の在り方と義務【書評と要約】

富の福音

世界的な大富豪ビルゲイツやウォーレン・バフェットも愛読しているという名著「富の福音」の気になったところをピックアップして紹介していく。

著者は「鉄鋼王」として知られるアンドリュー・カーネギー。

カーネギー?誰それ?って人のために雑に説明すると推定資産約32兆円の人生バグってるおじさんだ。

私がこの本を知ったのは本田健さんの「20代にしておきたい17のこと」で自身が影響を受けた本として紹介されていたからだ。

20代にしておきた17のこと
あなたはどう?「20代にしておきたい17のこと」が2つしかできてないんだけど20代に向けられた自己啓発本は多い。 「20代に伝えたい50のこと」「「20代で知っていきたいお金のこと」「20代で捨てるべき50...

私が読んだのは1889年に発表された「富の福音」の監訳版であるが内容は100年以上前書かれたものとは思えないほど新鮮で現代でも生かせるノウハウがたくさん詰まった良書だった。

「富の福音」が他の自己啓発本と異なるのは成功哲学だけでなく成功した後の富の活かし方まで書かれている事だと思う。

本記事では序章1章2章で書かれているカーネギーの生い立ちから富をどう扱うべきかについて書いていく。

3章4章5章は労働者と経営者の関係やアメリカの歴史などについて書かれていて自分の興味がある範囲ではないこともあり今回は割愛する。

興味がある人はぜひ手に取って読んでほしい。

貧困から富豪まで上り詰めたカーネギー

カーネギーは貧しい家に生まれたため義務教育は10歳までしか受けておらず生活費を稼ぐために12歳から働き始めている。

できるだけ早く稼ぐことを自分の義務としていたので「私は何をしたいのか?」ということではなく「自分のできる仕事は何か?」というのを指針にして生活していたようです。

18歳までに4度の転職行っており紡績工場→ボイラーの火夫→電報配達→通信技手→ペンシルヴァニア鉄道と職を変化させていった。

この間、紡績工場の時週給1ドル20セントだっと給料はペンシルヴァニア鉄道に就職の時点で月収35ドルまで上がってた。(当時のピッツバーグ市民としては一人前以上の額)

カーネギーが転職の時に意識したことは「賃金」ではなく「勉強の時間を取る」ことであり働きながら簿記の勉強をしたり、独学で電信の送受信の技術を覚え電報配達から通信技手へとステップアップしていった。

ペンシルヴァニア鉄道への転職時も電信会社から「待遇に不満なら、今すぐ昇格と昇給をしよう」と言われたにもかかわらず「不満がないことが恐ろしかった」という理由で転職を決め更なる飛躍を遂げている。

安定した職につけても現状に満足せずに軽々と職を変えていけるフットワークの軽さはすごく見習うべきところだと思う。

その後は銀行からお金を借りて寝台会社に投資、鉄橋の製造会社を設立を経て富を築き30歳になった時にペンシルヴァニア鉄道を辞職して事業家となった。

貧しいことは不幸ではない

輝かしいシンデレラストーリーのようだけどその裏には現状のサラリーマンに満足しない向上心、不断の努力があったことが分かる。

アメリカで最初の鋼鉄製の鉄橋を製作するといった時代を先読みする力を磨いていたことも大事なポイントだろう。

そしてカーネギーは自らが貧しかったからこそ富を築くことができたといったようなことも述べている

心の安らぐ貧しい家の暮らしは、安らぎを失った富豪の邸宅の暮らしより、もはるかに価値のあるものであり、偽りのない人生を生きることができるし、一生のうちに多大な事業を成すことができるものである

貧乏なことが不幸こと、お金持ちになれば幸せになれると網膜的に信じている人が多いがカーネギーは貧しい家に育ち、賢明な両親を持つことほど子供にとって素晴らしい環境はないと考えている。

貧富の差は社会が進歩するための必要条件

君たちが社会の下積みになっているのは、君たちが能力はあってもそれを自らの力で引き出そうとしないからだ。上に上がりたければ自分に何ができるか、よく考えて努力をすることだ

カーネギーは人間による能力の差と富豪と労働者は生活に大きな差があることを認め「社会に貧富の差があるということは、社会が進歩する必要条件だと言っても良い。」とまで述べている。

現代であれば大バッシングを受けそうな発言であるが実際に貧困から抜け出し巨大な富を築いたカーネギーの言葉ゆえに説得力がある。

貧富の差というのは才能と幸運、そして努力と忍耐を惜しまなかった富豪によって社会がより発展していくことで生まれるものだ。

社会が発展していくことはすべての市民の生活水準が上がるということであり決して嘆き悲しむことではないとしている。

その証拠として今日では最も貧しい人でも、昔の富める人よりも豊かな生活をしているし、少し前まで贅沢品だったものが生活必需品になったりしている。

富はどのように使うべきか

カーネギーは必要以上に富の蓄積を得た時の富の使い方には大きく分けて3つあるという。

  1. 富を遺族や子孫に残すことである
  2. 社会公共のために富を遺贈することである
  3. 富の所有者が自分の生存中に自らの経験を活かして公共のために運用することである

このうち1は財産を譲られた子孫が愚かな場合いたずらに資産を使いつくすか、かえって莫大な損失に苦しむことがあるとして富を子孫に残す行為は間違った愛情であり愚行としている。

富を運用することは富める者の責任でもある

次に2は蓄積した富を運用することを放棄した行為であるとして多くの場合は賞揚に値するものではないとしている。

富を運用することは富める者の権利であるとともに責任でもある。なぜなら、蓄積された富を真に社会のために役立つように使うことの困難さは、富を蓄積する困難さと比べて少しも変わりないのである。

富を使うことの困難さを述べ、富を蓄積したものが知識と経験を持って責任をもって富を活用するべきだとしている。

だからこそカーネギーは生存中に富を運用することなくやむなく遺贈した富豪の死に際して人々はいずれ「富を持って死ぬ者は、真に不名誉である」と弔辞を送ることになるだろうと述べている。

そういう意味では相続税は累進税率によってお金持ちほど額が上がるので自分が生きている間に富を処分しようとする心理が働くことから好ましい制度だとカーネギーは考えている

富は生存中に運用する

つまりカーネギーは3の生存中に自らの経験を活かして公共のために運用すること」を勧めている。

それは、有能な人の手に集中して巨額の富が社会共同の利益に使われることは社会の発展のために多く貢献すると考えているからだ。

本当の慈善行為とは

生存中に自己の責任で富を運用することが最も望ましいとしはしているが求められる寄付にすべて応じることが良いとはしていない。

むしろ間違った慈善を施せば「それを受ける遊び癖を助長し、泥酔を励まし、惰性を奨励しているのと変わりはない」としている。

つまり事前行為も一つ間違えれば浮浪者を作り出す事業になってしまうこともある。

では何が本当の慈善行為なのか。以下のように述べている

富豪の援助が社会にもっとも役立つ分野は、奨学金制度のように、人々が高いところに登る足場を作ることである。そして、その足場の利用を認めるのは自ら高いところに登る努力をしている人に対してだけである。また無料で利用できる公共施設、例えば図書館、公会堂、公園、美術館などを提供するのは、富豪の責任である。

ただ金を与えるのではなく自分自身で努力している人に限り事前を施すべきだという一見当たり前のような意見にも聞こえるがわざわざこのような主張するということは間違った事前がたくさん行われているということだと思う。

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